正法である以上、愚者の疑惑などものともしないことは言うまでもないことです。

ところが、顕正会では、「疑ってはいけない!」と高圧的に、あるいは狼狽しながら教えます。
何をこわがっているのかは明白ですが、「疑うことは謗法」、「疑うだけで罪障を積む、罰を受ける」と教えるのは、完全に誤った言説です。

要するに、「疑問を持つな」と端からから言ってしまっているわけで、学校の先生が生徒に「質問するな」と言っているのと同じです。

仏様は、疑惑は謗法であるとお説きくださいましたが、疑問を持ってはいけないとは仰せではありません。

質問が怖い顕正会。

それは嘘を教えているから、おかしいじゃないのと言われるのが大いなる恐怖なのです。

質問が謗法だなんて、おそらくどの星にも無い道理です。

とりわけ、仏法の習い初めに疑問を持たない者は、習い覚える気が無い人です。
学校の勉強や習い事と同じでしょう。

そもそも、大聖人がお明かしくださった法門は、法華経の極理であり、御本仏の甚深の御悟りが込められています。
それを、我ら荒凡夫が、この穢れた命でたやすく理解できると考えるとしたら、甚だしく無理があります。

十年や二十年やっただけで、総てが解るなら誰も苦労しません。
一生やっても解りはしないでしょうし、死ぬまでの間疑問だらけのはずなのです。

それをシャットアウトして、「ただ信じていればいいんだ」は暴論以外の何物でもありません。
誑言であり、欺瞞です。
すなわち、「疑うな」は単なる騙しのテクニックであります。

散々教えたにもかかわらず、基本教義が理解できていないとか、池田大作のように相承の秘儀を探りたがったりとか、それは不解憍慢の徒であり、謗法となりますが、より深い理解のために疑問を抱くのは、良いことであり、必要なことです。

仏法を心得た人は、そうした疑問に正確に応じ、理解を深めてやる義務があります。

顕正会では、「浅い先生が最高の指導者であると言えるのはなぜか」という質問に対して、次のように答えるそうです。
「浅い先生は60年以上仏法を修め、日蓮大聖人の御遺命守護の戦いを命がけでやっている人だから」と。

答えでないんです。

仏法を60年以上やっている人なら正宗にも学会にも数多いですし、命がけなど大げさなことを言うのは池田大作の方が有名ですし動きも派手です。

正しい仏法の最高指導者とは、まず僧侶である必要があります。

在家のタヌキオヤジ(この面では大作も同様。顔かたちだけで言えばTanuki Toyoda氏も同様)が最高の師であると主張するには、仏説に基づく根拠を示さなければ、仏道修行における答えとしては0点です。

いわゆるニセ本尊疑惑についてはもっと下等で、会内にはその疑惑が蔓延してしまい2度にわたり紙上で釈明をしますが、「御形木」を連発し、この世にありえない本尊が多数登場しました。

これに至ってはもはや文証以前の問題であり、本尊に関する基礎知識さえあれば幼稚園児にも破折されてしまう体たらくです。

仏道では文証が無いことは信じてはいけません。

文証を当たらず、童子にも分かる矛盾や嘘を黙殺し、自らを洗脳して不幸になるのは勝手ですが、他人に勧めるなど人道的な犯罪であることを知らなければなりません。

文証から逃げ惑い、功徳という語を乱用して「善現証が正法の証」と啼き喚く顕正会。

君ら以上に「イイコト」があるのが世間普通の人なのよ。
つまり、世間普通の人々は、顕正会をやらない方がいい状況なんです。

世間で不幸にあえいでいる人を誑かすは、人として最悪の犯罪と知るべきです。

その下劣な姿、もはや人でなしと知るべきです。