顕正会員がいかに馬鹿といえども、学校の試験くらいは何度か受けたことがあるでしょう。

あれは、空欄などに答えを書きますが、答えを書くべき場所に何かを書き込みさえすれば、100点でしょうか。
回答欄を全部埋めれば満点ですか。

そんなことはないですね。

正答を書いてこそ得点になります。

つまり、間違った答えを何百字何万字書いても、零点になります。

末法の成仏道では、以下を誤解していては零点です。
ほかの答えが単独で正答だとしても、得点はありません。

・本尊
・血脈
・師匠
・化儀

得点とは、功徳と言い換えることができます。
顕正会は、本尊を誤り、血脈を誤り、師を誤り、化儀を誤っているから功徳は皆無です。

大聖人が何年に宗旨建立あそばされたとか、立正安国論を奏上なさったのは誰へかなどを知らなくとも、成仏できます。
裏を返せば、その類の知識があっても功徳はありません。

顕正会では、これ以上浅いものはないほどの浅い功徳観を教えます。
まずこれが誤りです。

身に起きるイイコトとやらが即功徳という功徳観は誤りです。

顕正会では、イイコトは総て功徳であり、功徳が信仰が正しいことの証明だと説明しますが、話が逆です。

仏説に照らしてその信仰が正しいことが証明されるから、その結果起きる善い現証が功徳であると言い得るのです。

要するに、文証理証に違う現証はあり得ないのです。

仏説に違う信仰に、功徳が無いことは明らかですが、それでもイイコトがあるじゃないかとなおも抗弁するは、かなりの馬鹿者です。

邪宗の信徒だろうとキリスト教徒だろうとイスラム国の構成員だろうと、善い事はあります。

日蓮正宗の信仰をしていても、驚くほど善い事が起き続けているが、これをもって日蓮正宗の信仰は正しいと証明されるではないかとの反論に、こちらが目を覆いたくなるほどの動揺を顕した顕正会員が何人いると思いますか。
まさしく顕正会ならぬ顕誤会、顕邪会です。

その白痴ぶりと攻撃性向から犬性会なんとも呼ばれています。
顕恥会ですよ。

功徳とは六根清浄であり、正しく智慧ある命の涌現です。
正反対の姿ではありませんか。

まともな人間とさえ思っている人は数少ないですよ。

この現証こそ、顕正会の信仰が誤っていることの証拠です。

現証に如かずという御金言は、こういうことに用いるのです。
よく覚えておきなさい。

ニセ本尊を拝み、血脈を断絶したと悩乱し、一闡提の狂人を崇め、捏造化儀をありがたがる、哀れな痴人集団、それが顕正会です。

日蓮大聖人は、邪宗の者にも善い出来事はあると仰せであります。

実経に入らざらん者は、或は魔にたぼらかされて通を現ずるか。但し法門をもて邪正をたゞすべし。利根と通力とにはよるべからず(唱法華題目抄)

邪宗信徒には魔の誑かしの通力により善現象を顕す者があるから、正しい信仰かどうかは仏説に照らして判別すべしとの明快な御指南です。

善い事があったと主張する者があったとき、その信仰の邪正は仏説により分別せよと仰せなのであり、善い出来事が信仰の正しさを証明するなど仰せではありません。

まさに顕正会のためにあるような御金言ではありませんか。

若し衆生生死を出でず仏乗を慕はずと知れば、魔是の人に於て猶親の想を生す(種々御振舞御書)

恐ろしげな御言葉ですが、謗法の人に魔は親の思いをなすと仰せなのです。

鬼を崇め魔を貴ぶそんな者どもを、魔は親の気持ちをもって愛し養うことになるのです。
善い現象が起きるのはむしろ当然のことと、大聖人様は仰せなのです。

宗教の利益はその根本に尊崇し奉る本尊の正邪により且つその説かれる教法の正邪によつて分かるるのである。
本尊と教法が正法である時利益は期せずして現ずるは理の当然であつてその利益は又正しいのである。
若し教法が不純であり邪法であるならば仮令利益をいふもそは必ず不純であり邪道の利である。
故に宗教に入るには唯その利益を見て決するは冒険この上なしといはなければならぬ。
故に宗教選択の道は利益を先とせず法の邪正をもつてなさねばならない。
日蓮大聖人は「但し法門の邪正をもつてただすべし、利根と通力とにはよるべからず」と仰せられてあるが此れが宗教選択の要道である。
利根とは人間の智慧才覚に任せていふその言葉によるを指し、通力とは不思議なる力のみを以て神仏を計ることである。
此等は共に斥けなければならないのである(日淳上人全集)

さきの御金言をお挙げになり、「宗教選択の要道」との明快な御指南であります。

ダイショーニンだゴユイメーだといくら啼き喚いてみせたところで、日蓮大聖人が明確にお戒めくださった邪教徒の姿を現じ続けるが己の姿と覚りなさい。

信を置くべきは、浅井の言葉ではなく仏様の御金言ですぞ。

浅井がどんな欺誑を弄しようとも、そこにただ一点の曇りあらば、それは邪教と断じてよいのです。

曇りとは、御金言に違う教えです。
顕正会で、「現証が法の正しさを証す」と教えるその一点をもって、浅井昭衛が邪師であることの証明となります。

顕正会の邪義、悉く破する要はありません。

仏法の破壊者は、ワタシハハカイシャデスヨーとは言いません。
その代わりに、仏法を正しく伝え持つ方を破壊者と罵ってみせるのです。
池田大作と同じです。

池田は魔王だが浅い先生は正しいなんて言っているから、世間からは笑われておりますぞ。