大作は植物のようになってしまったようですが、浅いセンセーとかいう奴もそろそろですな。

登記簿まで見られて、やれすでに代表は城衛になっているとか、やれ浅井は城衛に10億円やったとか、言われなくていいことを言われて馬鹿にされています。

ところで克衛も植物ですか。
血をバケツに3杯吐いたという話は聞きませんが、日達上人様についてそんな思いつき(本人談)を喚いたので、そういう状態かもしれませんな。

著名な新興宗教はいずれも、その話を聞けば聞くほど気持ちが悪くなりますが、この国では信教は自由なのだそうで、駄作を人に書かせていた人もそう言っていますから間違いは無いのでしょうけれども、もはやこれは刑罰ですな。

けだし、自由って、恐ろしい。

馬鹿に自由を与えると、高い確率で誤るのでしょうか。

素直な馬鹿はまだ救われると言いますが、素直な人も愚かしさのせいでやはり誤ります。

賢くなければ、自由という刑罰的状態の中で、正解は見つけられないようにも思えます。

しかるに真の賢さは末法の法華経を行じなければ、涌現しないと。

そこで私は思うわけですが、正しい御本尊様を拝むようになって賢くなっていったのですけれども、そうなる前、すなわち入信する少し前から、考えや心の状態が変化したように記憶しています。

つまり、自由にしているようで、仏様の御導きは、正法に出会う前から誰にでもあるのではないかと思うのです。

過去世の因縁ももちろん関係しているのでしょうが、先達すなわちすでに日蓮正宗の信心を真剣にやっている数多の人々の、誠心の祈りが私を導いてくれたのではないか、と感ぜられます。

今夜も暑いですな。