同志誹謗が好きなわけではないけれど、ついついひとのあらが目についてしまう性分ゆえ、私がもし顕正会員だったら、櫻川とかいう奴みたいに、どう転んでも組織に反逆するが落ちだっただろうなと想像するところです。

組織というもの、国という単位でもそうですが、最悪でも組織に反逆だけはしない人間を育てようと図ります。
頭領は、ロボットのように盲従する人間で十分と考えてもいますが、全員がそうではまた困る処もあります。

と言って船頭多くして船山に登りますから、ほとんどがロボットという状態がいちばんと考えるでしょう。
組織の中で船頭の役割をする人間の数は最低限でよいし、そういう人間もどこまでも忠犬であることが必要条件です。

此度の話は、凡そ無駄話の類とここで気づきますな。

私は犬ではなく猫タイプで、凡そ思うようにしか動きませんし、組織向きの人間ではないのですから、「もしも顕正会員だったら」なんて考えても意味がありません。

法華講の痴れ者どもが「御書を読みなさい」なんて命じる前に御書は読むでしょうし、浅井の自語相違、論理矛盾は悉くそれらを指摘するでしょう。

そして言うでしょう。
「浅井昭衛が詐欺師であることは、仏法以前に明々白々!こんな男が仏法を正しく我々に伝えるわけがない!」と。

私の現時の問題点は、仏様を飼い主とは認めている猫だけれども、忠犬とは到底言い得ないこと。

猫が犬になり得はしまいが、やはり忠犬のほうがいいのかな。