顕正会のある人間に言わせると、血脈は日顕猊下には相伝されず(相承失敗論)、今は宙に浮いている状態で、正しい猊下が現れたときにその方に乗り移る、と。

上記が一応の公式見解のようですが、また別の人間に言わせると、実は日達猊下は浅井甚兵衛に血脈を相承したが、しばらくは自分の顔を立ててそのことは秘してくれと甚兵衛に哀願した、と教わりましたと。

甚兵衛は死ぬ前に昭衛にそれを相伝したということになっているそうですが、過日顕正会本部に電話をして尋ねたところ、「そんな教えは顕正会に無い」と女は言いました。

私が、しかし顕正会員が言っていた話だと返すと、女は、「それはきっと偽者の顕正会員に違いない」と。

わざわざ顕正会員を騙ってそんなことを言ったとしても、今以上に顕正会の名は落ちようもないと思いますから、そんなことをする意味は無いはずなので、この女が例によって例のごとくただのうそつきだと断じるのが妥当です。

そのほかにも、浅い先生は日寛上人の生まれ変わりだと教わったとか、浅い先生こそが日目上人の再誕だという話だとか、要するに怪情報が幾つも飛び交うのが顕正会という場なのですね。

このことだけですでにかなり気持ちが悪いですな。

血脈浮遊が公式見解だったが、昨今、いよいよ浅井は、血脈が自分にあることを公式発表するのではないかという噂が流布されています。

血脈が浮遊しているなら、自分の都合の良いときに勝手にそれを頂いてしまえばよいわけですから、例によって例のごとく、好き勝手なことを舌をペロペロと出しながらしゃべろうとたくらんでいる狂人の姿が浮かびます。

一闡提の狂人の言う事を端から鵜呑みにするばかりでなく、自らもさらなる嘘を創作して吹聴する者までいるのが顕正会です。

日常的に嘘でたらめをシャワーのように浴びていると、頭がますますおかしくなって、正真正銘の狂人になる人間も多いのかもしれませんが、現実には、疑念が頭にこびりついて秘かに悩む活動家もまた多いと聞きます。

そんな少しはまともな人たちは、この血脈に関するでたらめを極める複数の情報をとらえて、どんなふうに考えるのでしょう。

どうも君らは、宗教的センスが世界一悪いので、僧侶と在家信徒の決定的な違いが分からないという一闡提人であります。

自分が登ってゆかねばならない梯子を見て、「この梯子は何だ!高々と野放図に突っ立ちやがって気にくわぬ」と言って、それをビシリと地に叩きつけてしまう図なのですぞ。

すなわち絶対に成仏できない、一闡提の人々であります。

日蓮大聖人は御僧侶です。
六老僧も御僧侶で、日目上人ももちろん御僧侶です。

以下は言うまでもありませんが、68代にわたり猊下は皆々様が悉く御僧侶です。

大聖人様は御書の中で、頻繁に「弟子・檀那」というおっしゃり方をなさり、僧と俗を厳格に分けるお考えを明確にお示しくださっています。

法主―僧侶―檀那

上図は御法門に定められた大原則であり、檀那は最も下位なのです。

御法主上人猊下は総ての御僧侶を弟子とし、檀那が弟子となれるのは猊下直接はあり得ず、お寺の御住職の弟子となります。

ここに、猊下は大聖人様その御方であらせられますので、絶対の立場になります。

日蓮在御判と嫡々代々と書くべしとの給ふ事如何。師の曰く、深秘なり、代々の聖人悉く日蓮と申す意なり(御本尊七箇之相承)

さて、このような御本尊に関する深秘の法門を相承によって知っているはずの浅井は、自分で本尊を書写できるはずなのに、なぜ「もらった」とか「御形木」とか連呼して、自分が未来にも書かないことを前提としたような発言をしたのか、とても不思議ですな。

就中六人の遺弟を定むる表事は、先々に沙汰するが如し云云。
但し直授結要付嘱は唯一人なり。白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。
上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり(百六箇抄)

直授結要付嘱と拝し、血脈はただ御一人からただ御一人へ、直接授けられるものであって、それが浮遊するという仰せはこの御文のほかにもどこにも見当たりません。

つまり文証はありませんので、浅井の血脈浮遊論など信じてはいけません。

また、上人は須らく御僧侶でなければならないので、在家の狂人の浅井が猊座に就くなど、陽が西から上るよりもあり得ないことです。

我々の師は御僧侶でなければならないことは一闡提のクルクルパーには百年かけても理解できそうにありません。

この法門は、師弟子を正して仏に成り候。師弟子だにも違い候へば、同じ法華を持ちまいらせて候へども、無間地獄に堕ち候なり(佐渡国法華講衆御返事)

ところで、そもそも、顕正会員は「血脈」が何であるかもわからないのではないかと思います。

文証なきは総て邪説であるという大聖人様、日寛上人様などが仰せの重要御文を会員に教えなかった付けがいよいよ回ってきて、「血脈は城衛にある」といくら啼き叫んでみても、だあれもついてきてくれないが落ちになるであろうと、私は予想しますね。

教学をきちんと教えたら自分がうそつきだとばれてしまうから本物は教えられないし、御書も読んじゃ駄目と言うしかないわけです。

おまけに自分と同じか自分よりも馬鹿しかいないから、ケチミャクだソージョーだと啼いてみたところで、バカキチ会員ども世界一のセンスですから、結局ピンと来はしないんじゃあないんでしょうかね。

大聖人を騙る恐れを知らない宗教詐欺師が最後に日の目を見る道理が無いですからな。
堕地獄必定の浅井昭衛に起きる罰は現罰ではなく冥罰です。
徐々に衰えますな、池田大作と同じです。

憧れの大作よりは地獄は浅いな昭衛よ無念だろうが。

私ならざる法門を僻案せん人は偏に天魔波旬の其の身に入り替りて人をして自身ともに無間大城に堕つべきにて候つたなしつたなし(四菩薩造立抄)

日蓮大聖人様の御説に無い我流の法義を説く人は、完全に第六天魔王がその身に入り、それを聞く人も自分も無間地獄に堕ちるとの御指南であります。

これが浅井と顕正会員の、大聖人様がお示しあそばされるところの真実の姿です。

つたなしつたなし。